こんにちは!
今回ご紹介するのは、
日本の首都が京都から東京に移ったのちに衰退した、
京都の復興の歴史を語るには欠かせない、
「槇村正直」(まきむらまさなお)
についてご紹介します。
槇村正直は、
京都府の二代目の知事で、
「近代の京都の発展」
を語るには、欠かせない人物です。
槇村正直が行った主な活躍はこちら
⑴舎密局(理化学研究学校)
⑵日本初の小学校の開設
⑶京都博覧会開催
⑷女紅場(女子に裁縫・読み書き・料理などを教える施設)の創設
⑸都をどりの開催
⑹新京極の開通
などなどです。
1:最初は京都を酷評していた槇村正直、自ら改革に乗り出す
①京都副知事時代から実験を握っていた槇村正直
槇村正直は、
明治時代の長州藩出身の政治家です。

槇村正直の出身地・長州
明治維新後の東京遷都によって衰退した
京都の復興と近代化に向けて、
積極可換な行動力を示し、
様々な政策を実行しました。
②積極的な実行力で京都の復興。発展に寄与した槇村正直
槇村正直が京都で行った政策の一つが、
「女紅場(にょこうば)の設立」
女紅場とは、
女子のための
読み書きや裁縫、料理などを教える施設で、
明治時代の初期ごろから全国に作られました。
現在も
「都をどり」
が開催される
「祇園甲部歌舞練場」の付属の芸事の専門学校である、
「八坂女紅場」
などがあります。
【祇園甲部の花見小路】
また、
丸太橋西詰には、
「女紅場跡」もあります。
槇村正直が携わった京都の復興発展の政策が、
今現在も残る京都の風景を作り出しています。
2:日本初の小学校の開設、ドイツ人の招聘などにも携わった槇村正直
①ドイツの科学者を京都に招聘した、槇村正直
槇村正直が行った政策では、
「日本初の小学校の開設」や、
が有名です。
舎密局とは、
理化学研究学校のことで、
ドイツの科学者である、
を教授として京都に招聘して発展しました。
京都の岡崎公園には、
「ワグネルの記念碑」も建てられています。

ワグネル記念碑
②槇村正直が招聘したワグネル指導の下、京都の技術革新に貢献
槇村正直が京都に招聘したワグネルの指導の下、
「舎密局」では、以下のものなどが製造されました。
陶磁器
七宝の釉薬(ゆうやく)
ガラス
氷砂糖
ラムネ水
石鹸
漂白粉
1875年から第二代京都府知事に就任した
槇村正直は、
知事以前の副知事時代から、
これらの政策を大胆に実行し、
衰退した京都の復興と発展に尽力しました。
その風景が、
今の京都にもたくさん残っています。
また、
京都検定の勉強に欠かせない、
「京都観光・文化検定試験 公式ガイドブック」
を見れば京都についてさらに詳しくなれます。
気になる方や、
京都検定の受験を目指している方は、
是非一度手に取ってみてください!
【3級向けにさくっと勉強したい方はこちら!】
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた!