こんにちは!
今回ご紹介するのは、
京都の歴史に欠かせない、
「平安京」
についてです。

1895年に平安遷都1100年を記念して建てられてた平安神宮
「なくよウグイス平安京」
で有名な平安京。
平安京に遷都されたのが
794年というのは、
日本人なら誰でも知る歴史の知識ですよね。
今回は、
その平安京について、
京都検定にも出題される
「平安京の構造」についてご紹介します。
contents
1:左右に分かれた平安京、それぞれの名称は「長安城」「洛陽城」という構造
①長安をモデルにした構造の、京の都「平安京」
794年(延暦13年)
10年前に平城京から長岡京に移されたばかりでしたが、
京都の地に都が遷都され、
「平安京」が生まれました。
平安京の遷都の際の視察では、
「地相」を占いました。
地相とは、
「四神相応之地」を表し、
北:玄武
南:朱雀
東:青龍
西:白虎
が配置されます。

京都を守る、四神獣
「地相」それぞれに合わせた地が見つかり、
京都・平安京への遷都が始まりました。
②現在にも繋がる京都の街の構造「碁盤の目」は、平安京から生まれた
平安京は、
計画的に作られた都市であり、
その規模は、
南北5.2km、東西4.5kmに達します。

平安京の構造(京都観光文化検定試験ガイドブックより)
モデルとなった「長安城」
と比べると、
3分の1程度ですが、
平安京は、
均等に分かれた
「右京」と「左京」
からなります。
右京と左京はそれぞれ、
右京:長安城
左京:洛陽城
と呼ばれていました。
現在にも残る、
「京都の碁盤の目の街並み」の基礎は、
平安京遷都の際にできていたようです。
(きれいに整備されたのは、秀吉による)
2:京都の平安京の幹は「朱雀大路」道の幅は約85mの構造
①平安京の入口に南の羅城門が建つ構造
壮大な規模の平安京の京都の構造、
南の「羅城門」から北に伸びる
「朱雀大路」は
道幅約85mの大通りで、
平安京の幹を成しています。
平安京は左右に分けられていて、
それぞれ
「東京(ひがしのきょう)」「西京(にしのきょう)」
と呼ばれ、
中国風に
東京→「洛陽城」
西京→「長安城」
とも呼んでいました。
大行政区のあった京都の平安京。
その構造のそれぞれ行政区は、
大路や小路によって分断されていて
「条坊制」と呼ばれます。
②後に廃れた右京、その後「京」を表す言葉として「洛」が生まれる
西京・東京はそれぞれ、
右京・左京とも呼ばれていました。
平安京の左右両京が反映していたのはわずかな期間で、
1世紀が過ぎると右京が廃れていきました。
平安京の右京が廃れたその後に
「洛陽」と呼ばれていた左京が
平安京を表す言葉となり、
京を「洛」で表しました。
その結果、
「洛中」や「洛外」という言葉も生まれたそうです。
右京の衰退に伴って朱雀大路も狭小化し、
羅城門も倒壊後に再建されることはありませんでした。
3:平安京の構造と歴史を知れば、京都観光がさらに楽しめる
①平安京・右京の衰退と左京の発展が構造に変化をもたらす
京都の有名な観光地は、
東山エリアの清水寺など、
右京よりも左京に多い印象です。

京都の世界遺産「清水寺」
そのようなことも、
平安京の発展と、
右京エリアの衰退が関連しているのかも知れません。
その後戦国時代の豊臣家や
徳川家などにより様々な様子に整備されていき、
今現在の京都があります。
歴史を知ると、京都観光は楽しくなる
ことは間違いないです。
また、
京都検定の勉強に欠かせない、
「京都観光・文化検定試験 公式ガイドブック」
を見れば京都についてさらに詳しくなれます。
気になる方や、
京都検定の受験を目指している方は、
是非一度手に取ってみてください!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた!