史上最悪の治安を維持した1862年設置の【京都守護職】の役割は、会津藩の家訓によって守られた

こんにちは!

 

今回ご紹介する、

「京都検定に出る京都の豆知識」は、

こちら!

【京都守護職】です。

 

歴史をしっかりと学んだ方でなければ、

京都守護職なんて、歴史でなんとなく聞いた程度しか知らない

という方がほとんどだと思います。

 

京都守護職の主な役割としては、

「京都の治安維持」です。

 

京都守護職について知っておきたいのは以下の3つ。

⑴京都守護守護職は、京都の治安維持のために設置された

⑵会津藩士の松平容保が、京都守護職の初代

⑶「黒谷(くろだに)さん」と呼ばれる、金戒光明寺を京都守護職の本陣とした

この記事では、

「京都検定に出る知識」として、

学習していきます!

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1:1862年に設置された京都守護職、役割は幕末の京都の治安維持

①尊王攘夷を取り締まる京都守護職の役割

京都守護職が設置される前、

幕末の京都は尊王攘夷運動が高まり、

過激な浪士がたくさん集まっていました。

 

暗殺や略奪が繰り返され、

京都の治安は史上最悪でした。

 

そんな中、

会津藩が、将軍徳川家茂によって

会津藩が京都守護職に任ぜられることとなったのです。

②会津藩も最初は京都守護職の役割を固辞した

将軍徳川家茂に任ぜられたとはいえ、

最悪の治安であった京都の治安維持という

京都守護職の役職は、

会津藩も最初は固辞したそうです。

 

家老の西郷頼母(さいごうたのも)は、

「薪を背負って火を防ぐようなもの」

と反対しましたが、

 

松平容保は、

会津藩の藩祖である「保科正之」の言葉である、

「会津藩は将軍家を守護すべき。危機に陥ったときは、主家と運命を共にせよ」

という家訓に従い、

京都を死地とする覚悟で京都守護職の役割の受諾を決意し、

最後まで幕府と運命を共にしました。

2:京都守護職の役割を果たした本陣は、「黒谷さん」と呼ばれる金戒光明寺

①金戒光明寺は京都守護職の本陣として京都の治安維持の役割に関わった

会津藩が、

京都守護職の役割の本陣としたのは、

平安神宮の北東にある、

「金戒光明寺」です。

金戒光明寺は、

「黒谷(くろだに)さん」

という愛称でも親しまれ、

「浄土宗京都四ヵ本山」の一つでもあります。

 

応仁・文明の乱などで伽藍はたびたび焼失しましたが、

その都度再建され、

徳川秀忠の菩提を弔うために建てられた

重要文化財である三重塔は、

清水寺にある

三重塔・子安の塔と共に、

「京都市内に3つしかない重要文化財の三重塔」です

②京都守護職の役割で任された、会津藩殉職者の墓地もある

京都守護職の役割の本陣として

会津藩が使用した金戒光明寺。

 

山上墓地の北東には、

京都守護職の役割の任務で殉職した殉職者の「墓地」もあります。

 

京都史上最悪と言われた

治安の維持の役割に「京都守護職」として関わった会津藩。

その歴史を見れる

金戒光明寺には一度訪れておきたいものです。

 

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ここまで読んでいただきありがとうございました!

それではまた!